「アトリエカフェコロネとチロル」をオープンのきっかけともなった、小さな命『コロネ・チロル・ノエル』との出会い。
年間のべ2,000人の笑顔をお迎えしています。
「主人が知り合いの会社の敷地内で保護した」と、生まれてすぐに母猫からはぐれた状態の小さな小さな赤ちゃん猫を突然連れて帰ってきた夜。
正直、心の中で
「冗談はやめてー」「猫はちょっと怖いイメージで苦手、だいたいこんな小さくてフニャフニャで、動物の飼育に何の知識もない私が育てられるわけないし。」
そう思っていました。
それでも事実、目の前には今にも消えそうな命。
まだ寒い時期だったから湯タンポで暖をとり、ミルクを指でなめさせて何とか命をつなぐ日々。偶然にも、猫好きの友人にプレゼントしようとした「ねこそだてにっき」が手元にあったから、藁をもつかむ思いで育児書がわりに。わからないことをだめモトで本の著者にメッセージして聞いてみたら、優しくアドバイスをいただいて、87グラムしかなかった体重がすくすく成長しました。
肺炎になりかけて一時は入院したり、とにかくヒヤヒヤの連続でしたが、この頃中学校でヤンチャ盛りだった息子とはこの一連のやりとりで見事な連携プレー!
以降、親子関係がとても良好になりました。
子育てに対してのコンプレックスが、猫そだてにより解消するなんて、まさに猫の恩返しですね。
Facebook投稿で、茨木のかつお節屋「山崎屋」さんが黒猫ちゃんの保護情報をシェア。つながりのある同じく茨木のパン屋「モンアミ」さんがお尻にひどい怪我をした野良猫ちゃんに胸を痛めて一時保護、病院での治療やワクチン摂取も済ませて飼い主さんを探しているとのこと。
写真を一目見たら「おかーたん」と声がする。気がつくと隣にいた息子までが「これはうちに来る子やろ」と、いつの間にかメッセージを送っていて、そのままの勢いで家族になっていたという奇跡。
保護してから病気が治るまでお世話をしてくれたモンアミさんご家族の愛をたくさん受けたチロルは、いまだに一番の甘えん坊ですが、お客様をお迎えするのはちょっと苦手なこわがりさん。
生後4ヶ月間の野良生活、よほど辛い経験をしたのでしょう。それを忘れさせてあげたくて、ついつい甘やかしてしまいます。
夫の友人が会社で保護し、もらい手があるかもしれないけれど、しばらくの間あずかってほしいと頼まれお受けしたのがノエルとの出会いのきっかけ。
すでに2頭いるし、「早く飼い主さん見つかって」の思いで顔やら腕やらひっかかれて傷だらけになりながらの久しぶりのねこ育てでした。
それでも、ミルクもごくごく、トイレトレーニングも完了し、安心して引き渡しできる段階まで来て、いよいよという時には、すでにノエルが私の家族になっていました。
お別れを思うと涙がとまらず嗚咽になって…
結局相手の友人と交渉し、ノエルを我が家に迎えることに。
命を預かるということにどれほどの重みがあって、人間と猫、と頭では区別できても感情はそんなに簡単ではないことを、伝える必要があるとその時初めて感じたのでした。
私は育児不安を経験し、自分のこどもをうまく育てられないというコンプレックスを抱いていたので、まして生まれたてのねこを育てるなんて、自らの意志では選択することはなかったはず。なのにどうして、こんなにかけがえのない、力強い存在になったの
でしょう。
この3匹が運んでくれたものは、人を信じる気持ちと自分を本当に愛する気持ち。不安や迷いがあるときには、この子たちに癒され、力をもらっています。
ねこは繊細な感情を持つ生き物で、マイペースに自分の心地よい場所や人を察知するセンサーがあるようです。
おなかがすいた、かまってほしい、愛してほしいという気持ちを、全身をつかって表現してきます。
そうかと思えば、ちょっと今はほっといて、誰にも近づいてほしくないのよ、と毛づくろいに余念がない様子で、絶対に人をよせつけないバリアーをはってきます。
人間もそんな風に生きることができたらと、
いや、人間ももそうしたらいいんじゃないの。
ねこと暮らしていると自然とそう思えてくるから不思議です。
大げさな話かもしれませんが、
どんなに素晴らしい家族や友人に恵まれていても、最後は一人で命の終りを迎えるのが現実で、それはねこも人間も同じ。
だからこそ、
ねこと人間は違うとか、自分のこどもだから構わないでとか、結婚してるとかしてないとか、そんな枠にとらわれず、目の前にいる人や動物に、大切な家族や友人に接する時のような気持ちで寄り添えたら、世の中もう少し優しい空気に包まれるのではないだろうかと思うのです。
袖振り合うも他生の縁、次の瞬間にはそれぞれ別の世界で、という関係であっても、一緒にいる時はせめて柔らかい言葉で心を温めあいたい。
逆にいえば、どんなに親しい間柄でも、心の深い部分は互いに守り合う距離感が大切。それが人付き合いの礼儀だと思っています。たとえ親子や夫婦であっても。
コロチロノエルとの生活はそんなつかず離れずの程よい関係。
でもいつかの別れを想像しては、いつもどこか切なくて、たまらなく愛しい存在です。